やってもうたらええねん。

1996年生まれ できるだけ悪口は書かない

浪人生活物語①

年末に今の会社に入ってから5章に分けて振り返ると言っていたが、その前に、俺の人生のターニングポイントになった2015年の浪人生活も振り返りたいなと思い、書いていきます。

 

2015年2月20日俺の浪人生活がスタートした。

センター試験英語で大失敗し、センター利用の立命館同志社の一般入試も全落ち。

当時の俺は今と違い、割と楽観的な性格をしていた。根拠のない自信しかなく、嫌な事から全て逃げてきた。今の俺が当時の俺と出会ってたら、嫌いなタイプに分類されると思う。

薄々感じてたとはいえ、全落ちが決定すると、この上ない絶望感と現実に打ちのめされた。

その後の1ヶ月は死んだ目をして生きていたと思う。3月下旬に友達に励まされるまで、図書館に勉強に行くと親に嘘をついて、伊川谷ブックオフでひたすら時間を潰していた。友達に励まされたのと見かねた父親が鹿児島に連れて行ってくれたお陰でちょっとずつやる気を取り戻していった。

予備校については、大手予備校に行くと絶対サボる自信があったので、明石の関関同立専門塾か全国展開しているが、中堅である増田塾の二つを候補にした。

父親に意見を仰ぎ、増田塾に面談に行った。

増田塾は強制自習・合格保証をウリにしており、9:30から18:00まで外出禁止。合格保証をされて不合格であれば、全額返金とのこと。

合格保証はなんか裏があるんやろなと感じ、どうでもよかったが、強制自習はとても良いと思い、増田塾三宮校の入塾を決意した。

後々聞いたことだが、増田塾は日本で2番目に厳しい予備校との事。同志社に入ってからも何人か増田塾出身者と友達になったが、今の時点では、なんだかんだ成功している割合が高い気がする。

 

3月後半センバツの決勝の日に入塾テストみたいなやつを受け、クラスは確か1番上だった。現役時代もセンター模試で偏差値60弱ぐらいあったし、同志社の一般入試も3点足らずで不合格だったので、俺が1番レベル高いやろぐらい思って入塾した。まだ根拠のない自信があった時期である。

 

本格的な登校初日、あの日のことは一生忘れない。ものすごい雰囲気だった。集まったのは80人ぐらい。負のオーラが蔓延した教室。高校の友達等何人かいたのだが、誰も何も話そうとしない。

なんともいえない雰囲気。

西成のあいりん地区や横浜の寿町と似た雰囲気なのだが、少し違う。明日食べるものに困っている人の集まりじゃないのだ。

どちらかというと裕福な家庭の人が多いのに、あの雰囲気。

ただ、人生で初めての真剣勝負に敗れた人達の集まりだ。こういう雰囲気になるのは仕方ないのか。

これだけみるとまだまだ日本は学歴社会なのだと今となっては実感する。

 

長くなりそうなので分けて投稿します。