やってもうたらええねん。

1996年生まれ できるだけ悪口は書かない

浪人生活物語③

母親と焼肉に行った後、暇になったのでさっきの続き。

 

8月まで成績もそこまで上がらない時期も続いたが、9月上旬の河合模試を解いていた時になんとなく掴めた感覚があった。確か、その模試の結果は良かった気がする。

8月からは早起きして、三宮のドトールで英語の過去問を一題解いてから予備校に行くというのを習慣化した。

9月末に関西大学の過去問で3教科で9割ぐらいとり、ひと段落した記憶がある。

そこからはやる気がある時とない時を交互に続けながら、何とかモチベーションを保っていた。

一度全くやる気がなくなり、事務員さんの人に帰るわとだけ言って、予備校を出た。

昼前に帰ると母親に怒られるので、献血に行って時間を潰して帰った。後日献血結果が家に届き、バレて怒られたのだが。

その時期にはそれなりに成績も向上し、受ける大学学部も全て決めた。

落ちたら保育士か陸上自衛官になろうと思っていたのだが、保育士は免許がいると知って諦めた。自衛官のパンフレットは、元町駅前の陸自自衛隊事務所まで取りに行った。いい体してるな!一緒に訓練しよう!と誘われたが、とりあえずパンフレットだけ貰って帰ってきた。

ただ、この時期は、MARCH・関関同立の過去問をひたすら解いており、結構解けるもので、苦しい浪人生活の中でもまだ楽しい時間だった。

今となっては楽しいことがなさすぎて、幸せを感じるハードルが壊れていただけだと思う。

ハードルが壊れていたので、リプトンの青リンゴ味が出ただけで、アホみたいにテンションが上がっていた。

そんな日を繰り返し、あっという間に年末を迎えた。