やってもうたらええねん。

1996年生まれ できるだけ悪口は書かない

浪人生活物語④ 完

今年ももうすぐ終わり。

個人的にはすごくいい年でした。

皆さんありがとうございました。

 

昨日の続き。

成績はそれなりに安定していたが、もう失敗できないというプレッシャーは半端なかった。

社会人3年目である2022年もこの年ぐらいしんどかったが、しんどさの最大瞬間風速は間違いなく受験期直前である。

年が明けて2016年。

流石に元旦は予備校も休みなので、垂水のカフェで勉強していた。その帰り道あかんかったらどうしよという考えが頭の中を支配して、明石駅で座り込んでしまった。

体調が悪くないのに立てなくなったのはこの時限りである。

あかんかったら自衛隊に入ればええんや死ぬわけじゃないと自分を納得させ家に帰った。

そして迎えたセンター試験。確か3教科で78%ぐらいだったと記憶している。立命館のセンター利用方式を出願しており、なんとか合格点はクリアできそうだった。

数日後センターリサーチでB判定。順位的にも合格してそうだった。元町駅前の上島珈琲で高いミルクコーヒーを飲みながら1人で祝杯をした。

 

あとは同志社に合格するだけ。

正直な話をすると俺はそこまで同志社に拘りがある訳ではなかった。なりゆきで受けただけ。

卒業した今でも愛校心はあんまりないし。

俺はコンプレックスが残らなかったらその人の挑戦は成功したと思っている。

受験でも就職でもなんでも。

関大や立命館にいっても特にコンプレックスは残らんやろと思っていたので、別に同志社に拘りはなかった。

ただ、一回やると決めた事逃げるのもあかんなと思って、第一志望の同志社は変えなかった。

 

迎えた2月の私大入試本番。

わりと調子よく入った気がするが、2月7日の関大で大失敗をした。

サウナで作戦立て直そうとスーパー銭湯に行って家に帰った。

帰りが遅くなったので、母親は俺が自殺してるんじゃないかと心配して泣いていた。

感受性が強いのも考えものである。

そこからは立て直し、2月10日には全日程が終了した。

そこから15日の合格発表までは記憶があんまりない。合格発表当日は午前に同志社経済学部の発表、午後に立命館の発表があった。

立命館は自信があったので、昼まで寝てようと思っていたのだが、母親に叩き起こされた。

結果は合格。

手放しに喜び、涙が出ると思っていたのだが、あんまり実感がわかなかった。

売主から売渡を貰った感覚と似てる。

嬉しいは嬉しいけどその後しんどい事あるもんなーって感覚。

恐らく俺は、この時期に物事が上手くいかな過ぎて、喜び方を忘れてしまった。ちなみにそれは8年が経過した今でも続いている。今でもテンションの上げ方がわからず苦労することがある。この時の経験が人生に影響を与え過ぎて、そんな簡単に物事が進む訳がないと脳が勝手に認識しているのだ。

 

こんなかんじで最悪の1年間は幕を閉じた。

就職して早めに結果が出て、周りにチヤホヤされてもあまり調子に乗らなかったのは、この時の経験があるからだと思う。

もう二度とやりたくない。これを続けると心を壊すと思う。

最後に経済的に支えてくれた親に感謝して、いつか余計に払った受験料等をまとめて返せればいいな。

 

明日から社会人編を書いていきます。