やってもうたらええねん。

1996年生まれ できるだけ悪口は書かない

社会人生活番外編(Oさん編②)

最近の平日は何かと予定が多かったので、今日はゆっくりしていた。

というわけで、俺のブログ閲覧ランキング1位であるOさん編の続きを書いていきたいと思う。

 

俺が一年目の10月頃から、OさんがOJTとなった。

その前も飲みに連れて行ってくれたり、2人で相模原の川で遊んだりしていたのだが、この頃から濃い関係になっていった。

この頃はOさんの手伝いみたいな事をメインに仕事をしていた。

前のブログで言ったように、Oさんの指導は顔に似合わずスパルタだった。

俺は意外と下に甘いので、人間は見かけでは判断できない。

自分で言うのもなんだが、俺は忠誠心が強く、いい後輩やったなと思う。

Oさんは会議資料を間違えてよく支店長に激怒されてたので、俺が勝手に編集したりしていた。

支店長が岡田!最近会議資料ミスしなくなったな!と褒めていたが、あれは俺が編集していたからである。名前出してもた。岡田さんごめん。

間違ったこともいっぱい教えられたが、業者との付き合い方・設計事務所やゼネコンとの付き合い方などなど勉強する事は多かった。

この人は協力業者をめちゃくちゃ大事にする。

俺はこの人のそういう部分を尊敬している。

一年目の冬、岡田さんの酒癖が原因で、五反田駅で俺とサラリーマンが喧嘩した出来事や俺がホットコーヒーを自販機で買おうとして120円をいれ、ベロベロの岡田さんにコーンポタージュのボタンを押され、何しとんねんと頭をどついたぐらいから徐々に上下関係がなくなり、今では月一ぐらいしか敬語を使わなくなった。

よくブログに出てくる殿やこの前紹介したSさんもそうだが、どれだけいじっても許してくれる器が岡田さんにはあった。

怒られたのは一回だけ。

岡田さんは年に反省文を3枚書いたことがあるのだが、俺が岡田さん!今年の契約数より反省文の方が多いやんけ!と煽ると流石の岡田さんも顔を真っ赤にして怒っていた。

伝えたいのは俺はいい先輩に恵まれているという事。

 

俺がしんどい時も話を聞いてもらい、仕事で助けてもらった事も沢山ある。

俺は社会人初めての先輩が岡田さんでよかったと心から思っている。

仕事を教えてもらった事もそうだが、直上の先輩が活躍しているのを見て、俺もやれるという気持ちになれたのが一番大きかった。

 

週9回飲み会という昭和の俳優も驚くようなスケジュールをこなし、嫁に飲み会を週3回にする覚書を締結させられるような豪快な岡田さんの事を俺は大好きである。

岡田さんありがとう。

これからも宜しく。